事業仕分け ムダ削減 予算見直し・・・その先は?
連日マスコミを通じて伝えられている「事業仕分け」。「仕分け人」が官僚や事業担当者を厳しく詰問してバッサリと結論を下すその様子は、まるで勧善懲悪のテレビドラマの1シーンのように映ります。
行政刷新会議のHPによれば、「『事業仕分け』とは、公開の場において、外部の視点も入れながら、それぞれの事業ごとに要否等を議論し判定するものであり、透明性を確保しながら、予算を見直すことができる有効な方法です。」とのこと。http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html
「なるほどね。予算見直しを透明性のもとで行うわけか。」と思いつつも、映像や報道からなんとなくしっくりこない感覚を抱くのはなぜなのか。元クラリオンガールの議員さんや公立中学校の元「民間人校長」として名を馳せた方々が各事業のムダを指弾する場面は「劇場」としては十分な意味をもっているようだけれど、それぞれの事業内容の背景や意義は誰によってどこでどのようにして斟酌されているのかがよくわからない。そんなモヤモヤ感が残ってしまうのかなあ。
科学技術開発にしても教育にしても、いったい何を大切にして何を新しく切り拓こうとして従来のものを切り捨てるのかが、よくわからないような気がします。となると、マニフェストに掲げられている「学校理事会」や「教育委員会の見直し」なども、はたして「その先」にどんな学校像や教育像が描かれているのかという点から、不安が増してきます。透明性を高めてムダを省く、という大義名分? それだけか?
教員の多忙状況解消が教育行政の課題の1つになっているんだけど、そこでもなんとなく似たような現象がなきにしもあらず。教員が子どもと向き合う時間を確保するために、「教員の職務状況の充実」を図るのか。それとも、「教員の業務軽量化」へ向けた職務効率化に重心を置くのか。もちろん両者は相互に関係し合っているわけだけど、全体の方向性を決定づける「力」をもっている側が、そもそもどんな方向へ導きたいのかということが大きな鍵を握っているように思えてなりません。
予算を削減することや勤務時間を短くすること、というように、「ムダ削減」ということだけが「仕分け」の規準になってしまうことには、やはり違和感を覚えざるを得ません。
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